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大阪地方裁判所 昭和51年(ワ)5625号 判決

原告

菅本喜美子

菅本浩三

菅本謙三

右三名訴訟代理人

北村義二

武村二三夫

被告

右代表者法務大臣

秦野章

右指定代理人

長野益三

外二名

被告

大阪府

右代表者知事

岸昌

右訴訟代理人

山村恒年

外二名

主文

一  被告らは各自、原告菅本喜美子に対し金二二万二二二二円及びこれに対する昭和五一年一一月一四日から支払済まで年五分の割合による金員、同菅本浩三及び同菅本謙三に対しそれぞれ金八万八八八八円及びこれに対する昭和五一年一一月一四日から支払済まで年五分の割合による金員の各支払をせよ。

二  原告らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを一〇分し、その一を被告らの、その余を原告らの各負担とする。

四  この判決は、第一項にかぎり、仮に執行することができる。但し、被告らが原告菅本喜美子との関係では各金七万円、その余の原告との関係では各金三万円の担保を供するときは、右各仮執行を免れることができる。

事実《省略》

理由

一被告大阪府の本案前の主張について〈省略〉

二大阪府知事の違法行為

1  請求原因1の本件土地が菅本幾久馬から同三右衛門、続いて同三次郎へ順次承継された経過の事実は、当事者間に争いがない。

本件土地が、自創法第五条第四号によつて指定された買収除外区域に含まれていたこと、しかるに、大阪府知事赤間文三は、昭和二四年七月二日、本件土地買収処分をなしたこと、右処分は、昭和四〇年四月九日に至つて取消されたことは当事者間に争いがない。

2  右のように、買収除外地域内の土地を買収した処分は違法な処分といわなければならない。そして、大阪府知事の右買収処分が公権力の行使に当たる職務行為であることは疑いを入れないところである。

3  更に、違法な処分をなし、これによつて違法な状態を作出した者は、その違法状態をすみやかに回復する義務を負うというべきであり、その懈怠によつて損害が生じたときは、これも右違法処分から生じた損害としてその賠償の責に任ずべきものと解するのが相当である。そこで、これを本件についてみれば、本件買収処分はその瑕疵が明白で処分者としてはその違法であることを容易に知り得たから、これをすみやかに取消すなどして、右処分によつて作出された違法状態を原状に回復すべき義務があつたとしわなければならないところ、前述のように、本件買収処分が取消されたのは右処分から一五年以上経過した昭和四〇年四月九日であり、また、〈証拠〉によれば、本件買収処分の取消が菅本幾久馬宛で告知されたのは同月一四日過ぎで、右買収による所有権移転登記が抹消されたのは同年五月二五日に至つてであるから、回復措置が遅きに過ぎるというべく、大阪府知事は右原状回復義務を懈怠したといわなければならない。原告らの請求原因6の(四)後段の主張は、右の趣旨に出ずるものというべきである。

4  なお、原告らは、買収処分をした知事に、買収土地と隣接地との境界を明確に保ち、不明の場合にはこれを明確にして、不法占有者はこれを排除する義務があると主張するが、違法な処分をした者の義務としては、前述の原状回復義務以上に積極的な作為義務を負うものではない。

三原告らの本件土地所有権喪失

1  〈証拠〉によれば、請求原因4、5(一)、(二)の本件土地関係の相続による承継、そして、前述のとおり本件買収処分の取消とその告知がなされた後、三次郎の相続人らが本件土地の調査をしたうえ、これを占有していると思料する吉田益男及び大阪トヨペットに明渡を求めたが、応じて貰えなかつた経過の各事実を認めることができ、これを覆すに足りる証拠はない。

請求原因5(三)の吉田益男及び大阪トヨペットを相手方とする本件土地明渡請求訴訟が敗訴に終つた経過に関する事実は、当事者間に争いがない。

2  ところで、本件土地は、後に認定するところから明らかなように、大阪法務局等に備付の地籍図上、府道大阪高槻京都線敷地(以下「府道敷地」という)と本件土地の概ね北側にある大阪市東淀川区下新庄町三丁目三七二番の四の土地(以下「北側隣接地」という)と本件土地の概ね西側にある同所三八七番の土地(以下「西側隣接地」という)に囲まれた三角形状の土地で、府道敷地の境界は明確であるところ、右府道敷地と北側隣接地の所有者大阪トヨペットの占有部分と西側隣接地の所有者吉田益男の占有部分との間にはいかなる土地も存在しないから、本件土地が存在するとすれば、北側又は西側隣接地の所有者のいずれか又は双方に取込まれていると考えるよりほかはないが、前述のように、原告らの大阪トヨペット及び吉田益男に対する本件土地明渡請求が原告らの敗訴に終つたことにより、原告らが本件土地所有権を回復する途は鎖さされたといわなければならず、原告らは本件土地所有権を失つたということができる。

四知事の違法行為と原告らの本件土地所有権喪失との相当因果関係

原告らは、本件土地所有権の喪失は、大阪府知事の違法な買収処分等によつて生じたと主張し、これに対し、被告らは、本件土地は、本件買収処分時である昭和二四年ころには、既に存在せず、又は、既に隣地所有者に時効取得されていた、仮にそうでないとしても本件土地の位置、所在は不明で管理不可能な状態にあつたから、原告らの本件士地所有権喪失と本件買収処分との間には相当因果関係がないと主張する。そこで、まず、本件土地の存否、存在するとすればその位置、管理状況について検討を加える。

1  〈証拠〉によれば、次の事実を認めることができる。

(一)  本件土地は、登記簿及び土地台帳に記載されており、これらによれば、昭和二六年一〇月二〇日の町名改称、地番更正以前は大阪市東淀川区上新庄町五五六番地の二と表示されており、昭和九年一月六日以前は同所五五六番地の六と一筆をなしていた(これをが旧本件土地」という)が、同日分筆されたものである。

(二)  また、本件土地は、大阪法務局北出張所及び大阪市土木局各備付の地籍図にそれぞれ記載されており、これによれば、本件土地の概ね南東にある前記五五六番地の六の土地と概ね北側にある同所五四九番地の一の土地(以下「旧北側隣接地」という)と概ね西側にある同所五五七番地の三の土地(西側隣接地)とに囲まれた三角形状の土地として顕わされている。なお、旧北側隣接地は、昭和二六年の前記町名改称、地番更正により大阪市東淀川区下新庄町三丁目三七二番の一となり、その後、同番の一、三及び北側隣接地(同番の四)の三筆に分筆され、西側隣接地は同じく町名改称、地番更正により同所三八七番の土地となつた。

(三)  本件土地周辺は、昭和七年ころにはすべて水田であり、旧本件土地も植村弥三郎が小作する水田であつたところ、菅本幾久馬が昭和七年六月二一日競落によつてその所有権を取得したが、小作料徴収のうえ右植村弥三郎に続けて小作させていた。しかるところ、昭和九年ころ、本件土地付近に府道大阪高槻京都線が開設されることになつた際、旧本件土地の一部が右府道の敷地となることになり、そのため、菅本幾久馬は、旧本件土地から前記五五六番地の六を分筆のうえ、これを右敷地用地として、内務省に売渡し、昭和九年二月二六日その登記手続を了した。その残地が本件土地である。

以上のように認めることができ、これを覆すに足りる証拠はないが、右事実によれば、右府道開設前に旧本件土地が存在したことは明らかで、府道敷地用地として売渡されるに際して分筆されたことからすれば、右敷地用地に売渡しても残地が存在したと推認するのが相当であり、そうであれば、本件土地が当時現実に存在したことは、動かし難い事実といわなければならない。

2  そこで、次に本件土地の位置について検討する。

(一)  〈証拠〉によれば、本件土地の登記簿上の面積は一七五平方メートルであるが、菅本幾久馬は、前記五五六番地の六の土地を売却後も、本件土地を植村弥三郎が使用することを認めていたものの、特段の事情もないのに、以後小作料をとることもなく、その後、管理もほとんどなさず、誰が耕作しているか判らない状態となつたことを認めることができ、これを覆すに足りる証拠はない。右事実に鑑みれば、菅本幾久馬が本件土地を小作料をとることなく他人に使用させたのは、本件土地が水田としては、小作料をとつて貸す程の収穫可能な面積でなくなつたからと推認するのが相当である。〈証拠〉中には、本件土地の耕作可能な面積が約九九平方メートルあつたとの部分があるが、末だ採用できないところである。そうであれば、本件土地の実測面積はその登記簿上の面積よりも相当少ないものであつたといわなければならない。

(二)  〈証拠〉によれば、次の事実を認めることができる。

旧北側隣接地は、昭和一五年四月一〇日、島田壽明が前所有者温井末松からその隣接地旧表示上新庄町五五〇番地の四とともに買受けたが、その際の実測面積の合計は二〇二〇平方メートル(六一一坪七合九勺)であるのに対し、登記簿上の合計面積は二三〇六平方メートル(六九九坪)であり、実測面積が約一二パーセント少ない。そして、その際、島田壽明は右土地に土盛をして畑とし、周囲に板塀をもうけたが、その隣接地の所有者は、これを知りながら(但し、原告ら先代を除く)苦情を申出ることなく、右境界を承認していた。昭和一七年ころ及び昭和二三年三月二七日撮影の航空写真に撮影されている府道敷地の北側の水田の中の右府道敷地に接した台形の土地は右島田壽明の土盛した土地である。右土地の南側の境界線は、下新庄町三丁目三八八番の二及び西側隣接地の所有者の占有地に接して直線となつており、後に、右島田の賃借人西原君孝こと韓君孝において、右板塀を一部コンクリート塀に変えたりして今日に至つており、その後、大阪トヨペットが北側隣接地を含む旧北側隣接地の一部を買受けたが、右境界線に変動はない、前記地籍図上、北側隣接地の南側境界線は本件土地と西側隣接地に接するが、その境界線は直線となつており、現況に付合する。

西側隣接地は、濱崎照胤が昭和一二年一月六日に前所有者植原廣吉から買受け、これを昭和一三年ころから倉田鹿造に小作させていたが、これを島田ヤスコが昭和三〇年六月六日に買受け、昭和三五年二月四日吉田益男が譲渡を受けた。右倉田鹿造は本件土地の存在を認識しておらず、その南東側は道路敷地と水田との間の斜面の下端の線まで、東側は島田壽明の占有地までも水田として耕作し、その水田の形状は概ね三角形であつた。府道敷地と水田との間は斜面をなしており、島田壽明の占有地の南側境界線が府道敷地に交わる部分の西側の少なくとも三二平方メートルが他の水田面に比してやや高くなつており、その角をなす部分は水田としては耕作に使用されていなかつた。島田ヤスコは、右土地を買受けて後、西側隣接地の範囲を北は島田壽明の土盛をしたところまで、南東は府道敷地までの三角形と考えて、その範囲に土盛をして宅地としたが、その際、前記角をなす部分の辺りを不法に占有して畑として耕作する者が数名あつたので、これを退去させた。

右島田ヤスコの占有を昭和三五年二月四日吉田益男が承認したが、右土地の実測面積は約三一六平方メートル(95.66坪)であり、登記簿上の面積は約三一四平方メートル(九五坪)であつて、実測面積はわずかであるが登記簿上より多い。

右吉田益男の占有する土地は三角形状であるが、西側隣接地の形状は、地籍図によれば、四辺形であり、本件土地と併せれば三角形状となる。

以上のように認めることができ、これを覆すに足りる証拠はない。

(三)  以上を総合して判断すれば、本件土地は、吉田益男が西側隣接地として占有する三角形状の土地のうちの、大阪トヨペットの占有土地との境界線と、西側隣接地と府道敷地との境界線が交わる部分の西側に存在すると認められる。

3  ところで、右のように本件土地は吉田益男の占有する土地内に存在するといいうるものの、その面積は明らかでないところ、その内に水田としての部分があつたとしても、右吉田の占有する土地内の水田は、濱崎照胤の小作人倉田鹿造が昭和一三年ころからこれを西側隣接地の一部と考えて耕作していたことは前述のとおりであり、そうであれば、右水田部分は、昭和二三年の経過により、本件買収処分時には既に時効期間を超えて占有されていた土地である。そして、〈証拠〉によれば、吉田益男の前記明渡請求訴訟の訴訟代理人が本件土地につき時効を援用したことが認められ、右訴訟の控訴審判決が原告ら敗訴の理由に吉田益男の時効取得を挙げていることは前述のとおり当事者間に争いがない。以上によれば、右水田部分については、その所有権喪失は本件買収処分及びその後の原状回復義務の懈怠と何ら関係がないといいうる。

そこで、本件土地のうち右水田であつた部分を除いた部分(以下「本件傾斜地」という)についてみるに、右土地は、前述のように一部を畑として耕作する者があつたから僅かとは言え独立した経済的価値がなかつた訳でなく、また、府道敷地に接する斜面をなしたという形状からみて、府道敷地の崩壊を防ぐ効用を有したともいえるが、水田部分と経済的効用を一にしなければならないような事情は認められないので、これを一筆の土地ではあるが水田部分とは独立した一物件として扱うことを可能とするというべきである。

しかるところ、島田ヤスコが本件傾斜地の占有を開始したのは昭和三〇年六月六日であることは前述のとおりであり、時効期間が経過したのはその一〇年後の昭和四〇年六月六日である。そして、〈証拠〉によれば、右控訴審判決は昭和四〇年六月五日の経過による時効完成を認めたものである。ところで、本件取消処分がなされたのが昭和四〇年四月九日であることは当事者間に争いがなく、その取消の告知がなされたのは、前述のとおり同月一四日過ぎである。そうすると、本件取消処分がなされてから二か月近い期間があるので、この期間が、原告らにおいて、時効を中断するなどして権利を保全するのに十分な期間であれば、本件買収処分と原告らの本件傾斜地の所有権喪失との間には因果関係がないといいうるが、前述のように、本件買収処分と本件取消処分との間には一五年を超える期間が経過し、その間に本件土地所有者が死亡して原告らが相続するに至つており、また、本件土地周辺の所有者らも推移しており、このように代が替つたのは取消まで長期間を経たことが原因となつていることを考えれば、本件傾斜地所有権を保全するための期間としては、二か月では不十分といわなければならない。そして、前記吉田益男に対する本件土地明渡請求訴訟も特段遅れてなされたとまではいいえない。そうであれば、本件傾斜地は、本件買収処分がなされず、又は、なされたとしてもすみやかに取消されていたならば、吉田益男に時効取得されることはなかつたといえ、右時効取得による所有者の所有権喪失は通常予想しうるところであるから、本件買収処分及び原状回復義務の懈怠との間には相当因果関係がある。

なお、〈証拠〉によれば、島田ヤスコは、本件傾斜地に土盛りをするに際して、その一部を不法に占有する者らに対して酒一升を与えて右土地部分の明渡を得たことが認められ、これを覆すに足りる証拠はないところ、右事実によれば、島田ヤスコの占有は右占有者らの占有を承継したとみる余地がないではないが、仮にそのような場合、右島田の占有は悪意の占有というべきであり、右占有者らの占有の始期は必ずしも明らかでないものの、たやすく明渡したことからすれば、その占有はさほど長期に及んだものと考えられないが、菅本幾久馬が本件土地の管理をほとんどなさなくなつたのは昭和九年より後であるという前述の事実に照せば、いくら早くても昭和九年より前に遡のぼることはないから、右占有の承継による時効期間の経過は早くても昭和二九年より後であるということになる。右時期は、少なくとも本件買収処分より五年を経過し、その取消以前であるから、この時期において、当時の本件土地所有者菅本三次郎が権利保全の行為をなすことは、本件買収処分によつて妨げられていたということができ、本件買収処分及び原状回復義務の懈怠(本件買収処分の瑕疵の明白性に照らせば、右程度の期間であつてもなお、回復義務の懈怠があつたといいうる)との間には相当因果関係があるというべきである。

なお、被告らは、本件買収処分は無効であつたから、菅本三次郎やその相続人らはいつでも本件土地占有者にその所有権を主張し、明渡を請求できたので、本件買収処分と原告らの所有権喪失との間には相当因果関係がないと主張するが、〈証拠〉によれば、登記簿上、昭和二五年五月二四日付で自創法による買収によつて農林省の所有となつた旨の記載がなされていることが認められ、しかも、〈証拠〉によれば、本件土地が買収除外区域に含まれることが大阪府公報に記載されていることが認められるものの、一般の私人にかかる公報をもれなく閲読することを求めるのは酷というべきであり、菅本三次郎やその相続人である原告らに本件買収処分が無効であることを知り得た事情も認められないので、同人らに本件買収処分前の権利保全のための行為を期待できないというべきであり、前記相当因果関係を否定できない。

4  以上によれば、大阪府知事は、国から委任された公権力の行使に関る職務を行うについて、違法に原告らに損害を与えた場合に当り、被告国はその選任監督に当る者として、被告大阪府はその費用を負担する者として、国家賠償法により、右損害の賠償の責に任すべきであるといわなければならない。

五時効について

被告らは、原告らの損害賠償請求権は、本件買収処分時である昭和二四年七月二日から二〇年を経過したので、既に消滅したというので検討するに、本件買収処分から二〇年を経過したことは当事者間に争いがないが、本件土地の所有権を原告らが喪失したのは、単に違法な本件買収処分に基づくのではなく、右処分後、大阪府知事がその違法な状態を放置してこれを取消すなどの原状回復義務を懈怠したために生じたものであり、民法七二四条の期間は、右原状回復義務を尽したとき即ち本件取消処分の告知された日から起算すべきであつて、本件買収処分時から起算すべきでない。そうすると未だ同法条の期間は経過していないから、被告らの主張は失当というほかない。

六損害

1  原告らに生じた損害につき検討するに、右損害は本件土地のうち本件傾斜地部分の所有権喪失による損害である。そして、本件傾斜地所有権を原告らが喪失したのは、前述のように、吉田益男の本件傾斜地時効取得によるのであつて、このとき原告らの損害が現実化したといいうるから、右時効完成時である昭和四〇年六月五日の価格によるべきである。原告らは前記訴訟の上告審判決時とするが、独自の見解であつて採用し得ない。

2  そこで、本件傾斜地の面積がいか程であつたかが検討されなければならないが、これを明確にしうる資料は殆どない。わずかに前掲の検甲第一ないし第六号証、乙第一号証に右土地が写されているので、これに前掲の甲第二三号証、乙第三号証及び鑑定嘱託の回答を総合すれば、右土地は数人の者が畑として耕作しうる面積で、最も広い所で府道の歩道部分の幅員(四メートル)の1.5倍程度の一二角形と認められるので、これに前掲の各証拠を併せて総合判断すると、本件傾斜地は約二〇平方メートルはあつたというべきである。これに反する甲第一七号証の一の記載部分は採用しない。

3  そこで、右土地の昭和四〇年六月五日における価額であるが、鑑定人山本耕一の鑑定結果によれば、右時点の間口12.73メートル、奥行約5.3メートルの三角形で面積三六平方メートルの更地について一平方メートル当り二万七四〇〇円と評価されているので、これに前述の面積が更に狭隘なこと、境界が明確でないこと、傾斜地であることなどを総合考慮して補正し、一平方メートル当り二万円と認定する。

右によれば、本件傾斜地の価額は四〇万円というべきである。

3  次に、被告らは、過失相殺を主張するので検討するに、本件土地の境界が不明確となつたのは原告ら先代の管理の不十分であつたことにあるのは前述のとおりであるが、これは、本件買収処分及び原状回復義務の行使又は懈怠に何ら影響を与えず、かつ、本件損害を増大させたものでもないので、右管理の不十分であつたことをもつて過失相殺となしえず、他にこれを認めるような事情もない。

右によれば、本件において過失相殺はできないというべきである。

七結論

以上によれば、原告らの請求は、被告ら各自に対し、原告喜美子において二二万二二二二円、同浩三及び同謙三において各八万八八八八円並びに右各金員に対する不法行為後の昭和五一年一一月一四日から各支払済まで民法所定の年五分の割合による金員の支払を求める限度で理由があるので、これを認容し、その余は失当であるので棄却し、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条を、仮執行宣言につき同法第一九六条第一項、仮執行免脱の宣言につき同法同条第三項を各適用して主文のとおり判決する。

(石田眞 松本哲泓 河合健司)

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